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失われた土地で 0 [失われた土地で‐震災の記録]

私は神戸市東灘区で生まれ、育ちました。
神戸といっても、下町育ちですから、まあ言葉が悪いというか口が悪いというか、そういう人たちの中で成長したために、口が悪い大人に育ってしまいました。今でこそあまり言わなくなりましたが、アホな人(この場合、主に、表向きはきれいに取り繕っているけれど、性格の悪い人のこと)を見かけると、ついつい「アホがおるわ」と、言っても仕方ないことを言ってしまいます。
これは西日本では割と大丈夫ですが、東日本に行くと嫌がられます。何故か、神奈川の人と、昔から東京に住んでる人、岩手の人は大丈夫みたいですけどね(自分の周りがそうなだけかも)。
この前も環状線に乗ってるときに...(略

話がそれました。

10年前の地震では、その下町が大きい被害を受けました。震度7の帯がちょうど重なったからです。昔からの長屋や古い民家が多かったこともその一因でしたし、ほとんどの人は地震が来るなんて予想だにしておらず、とりたてて準備をしていなかったのも一因でしょう。

地震後に見た景色は忘れられません。
建物を解体している現場などを見ると、未だに涙があふれるときがあります。

10年たった今、こうして簡単に書き込める場所もあることですし、これまで別の所に書いた文章を含めて、まとめていきたいと思います。書き込む話が何かの役に立てば、幸いです。
(純粋に日記みたいなものなので、それはそれは本当に面白くないと思いますけどね。こりゃPVの数、ガタヘリですねきっと。まあ、もともとないけどね)


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失われた土地で 1 [失われた土地で‐震災の記録]

1977年 − 地震まで18年

「なかなか家ができん。おじいさんやし、ほんまに仕事遅いわ」
母が言う。

長屋の一部を買い取り、新しく家を建てることになった。
棟上げはもう終わっており、屋根もついているが、母によるとなかなか仕事が進まないらしい。さっきからぶつぶつ言っている。

自分は、大工さんたちが休憩しているときを見計らって、柱が立ち並ぶ中をすり抜けて遊ぶ。柱が並ぶ空間が狭くて面白い。頭の上、屋根のあたりに、おかめの面が....なんか怖い。幽霊みたいじゃないか。

棟梁はおじいさんで、どうやら母が思うよりもゆっくり家を造っているらしい。
母は年のせいだと思っているようだ。

「表の門柱なんか、いっぱい鉄筋入れてはるねん。あそこまでせんでもええのになあ」
「まあ、丁寧いうことはええことやないか」父が言う。

青空の下、釘を打つ音が響いている。
釘は、まっすぐ木の中に吸い込まれていく。
自分が工作でするみたいに、へにゃっ、とならないところが素敵だ。

彼の造る家は、ゆっくりゆっくりでき上がっていく。

そして、そのことが18年後の家族を救うことになる。


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失われた土地で 2 [失われた土地で‐震災の記録]

1978年 − 地震まで17年

「ヒラメ買うてきて。生きとうやつな」

父からそう言われたとき、「それはどうゆうことや」とまず思った。

「生きとうって、何や。刺身にでもするんか?」
「ちゃうちゃう。生きてるやつを、そこの水槽で飼うんや。刺身にするんやったら魚屋にさばいてもろたらええやろ」

父は生き物好きだからか、水槽の中に海の水を入れて、自分が釣ってきた”ちぬ”だのなんだのを飼っている。どうせしばらくすると、自分でさばいて食べてしまうのだけれど。

どう考えても変な趣味だ。普通に食べたらええねん。

「どこで買うてきたらええん?」
「市場の中の魚屋な。今朝見たら、店の前のバケツにヒラメがおった」

見たんやったら、自分で買うてきたらええのに。だいいち、店行って「ヒラメください」、いうのはええとして、「僕、刺身か?」言われたら、なんて答えたらええねんな。「生きたままください。家で飼うんです」とでも言うんか?むっちゃ恥ずかしいやんか。

魚屋はあこがれだった。
母についてよく市場に出かけたが、好きなもの1番は魚屋で、2番は玉子屋だ。
魚屋では、奥の調理場に一人、魚が並んでいるところに一人おじさんがいて、手で拍子をとりながらいつも景気のよいだみ声を出している。

「はい、買うてや、買うてや、ええ魚がおるで、買うてや」

母みたいな若い女の人が行くと、こう。

「おねえちゃん、おねえちゃん、いつ見てもべっぴんさんやなあ。はい、買うてや、買うてや、ええ魚が....」

おっちゃんはいつも口がうまい。ああいう大人になるのもええよね。

客が魚を決めると、さばき方を聞いてから、「三枚!」と奥のおじさんに魚を放り投げる。受け取った魚はさばかれて竹の舟に入れられ、ビニール袋にくるまれて、「はいっ、あじの三枚!」と投げ返される。夕方の混みあう時間になると、空中を魚が飛び交い、それを眺めるのがとても大好きだ。

玉子屋は魚屋とは別の意味で素敵だ。「25円の玉子5個ね」と言うと、紙にくるくる包んでくれる。おがくずを敷いた木の箱に並ぶ玉子は、お話に出てくる、なにか大事な宝物のように思える。アリやハチもああいうふうに大事に玉子を並べるんだろうなあ。

魚屋についた。

「はい、買うてや、買うてや、ええ魚が...、はい、僕、いらっしゃい。なにがええ?おつかいか。えらいなあ」
「そこのバケツにおるヒラメ」
「お、さすがお目が高いなあ。ええヒラメやでえ、これは。で、どないする。お刺身か?」
「ちゃうねん」 恥ずかしくて仕方ない。
「ん?刺身ちゃうんか?」
「そのまま」
「はい?」
「そのまま持って帰らなあかんねん。父ちゃんが飼う言うてんねん」
「飼うぅ?はははは」 ほら、笑われた。奥のおっちゃんも笑うてはる。
「そりゃ、恥ずかしいわなあ」 しかも見すかされてるし。
「僕、遠ないやろ。ほなら濡らした新聞紙にくるんだげるさかい、走ってお帰り」

手の中には魚がいる。
鳥や犬みたいに暖かくないけれど、冷たいけれど、生きていることがわかる。
かすかに震えている。息を感じる。

家まであと少し。
交差点では、真顔で走る少年を見かけたからか、車が止まって待ってくれている。
どうもありがと。

買うてきたよ!!水槽!水槽は?!

ヒラメは、水に触れると、一度だけひるがえり、砂の上に静かに着地した。

ようこそ。でも、本当に無事でよかったよ。


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失われた土地で 3 [失われた土地で‐震災の記録]

1979年 − 地震まで16年

車の中から、空を見上げる。

後ろの席に寝ころび、窓の外を見上げると、いろんなものが流れていく。

遠くの雲、家の屋根。電線は不思議な波のようにうねる。
鳥たちが、窓の向こうに来ては消える。
顔を出そうとする太陽を柔らかい雲が隠す。

車が角を曲がると、くるりと世界が変わる。
その変わりようが面白く、妹と一緒にくすくす笑う。

大きな交差点を左に曲がる。
頭の上の空は消え、高架道路がその姿をあらわす。

下から見上げるそれは、緑の鉄骨が組み合わさって、トカゲかカエルの骨格のよう。
同じ形が続いたかと思うと、別の形に変わる。
たくさんのカエルたちが、道を支えている。

しばらくすると骨の色が変わる。
カエルたちがいなくなり、白いコンクリートの骨格になる。
少し煤けて、まるで恐竜たちの化石のようだ。

恐竜たちは、すぐにいなくなる。
その後には、またカエルたち。

もう一度左に曲がると、青空がまた見えてくる。


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失われた土地で 4 [失われた土地で‐震災の記録]

1980年 − 地震まで15年

放課後、自転車に乗って公園に行くと、いつものメンバーがもう集まっていた。

「今日は、海の方へいってみようや」

普段は野球をしたり、自転車に乗ったり(はやっているのは、後輪をロックさせながら、どこまで横滑りできるかを競う遊びだ。スピードを出しすぎるとコケやすくなるし、スピードを出さないと全然滑らないからなかなか難しい)するのだけれど、何となくそういう話になり、みんなで海に向かうことにした。

国道43号線を渡り、埋め立て地に入る。海の匂いが強くなる。
この匂いをかぐと、海の水がびっくりするぐらい塩辛いことを思い出す。

埋め立て地に入り、しばらく行くと、ふいに西山が声を出した。

「おい、ちょっとあれ見てみいや」

何かの会社の塀の中。そこには、茶色い小山があった。

「あれ、登ってみいへんか?」
「えっ、まずいやろ」「怒られるで」

その小山は微妙な高さで、ちょうど自分たちにも登れるぐらい。
だいたい2階建ての家の屋根ぐらいの高さだった。

自転車を塀の外に置き、誰もいないことを確かめて、そ〜っと近づく。
裾の方を踏みしめてみると、山は意外にもしっかりしており、崩れる感じではない。

   (普通、登るよね?)

てっぺんに到達

海からの風が強くなる。強い潮の匂い。
海の方へ顔を向ければ、タグボートやもっと大きな船たちがゆっくり行き交っているのが見える。傾きかけた光を反射して、海がきらきら輝いている。

反対側を向けば緑の山。世界の上に立っている気分がする。

「そういえば、今、あの辺で島造っとるんやろ」
「もうすぐ埋め立て終わるらしいで」
「いろいろできるらしいなあ」

翌年にポートピア81を控えて、街には妙な活気があった。
誰もが、未来は、昔よりも今よりもよくなることを信じていたと思う。
技術・医療の発達によって、人の生活につきものの「貧しさ」は徐々に一掃されていくはずだった。

「こるあああ!お前らなにしとるんや!」急に怒号が響く。「アブねえだろうがぁ」

大人の怒り方には何種類かある。

レベル0 いつもは怒らないようなことだけど、機嫌が悪いかなんかで怒っている。
     こういうのはほっとくか、聞いたフリ。おかんとか女の人がよくやる。
というのから、
レベル4 完全に怒っている。すごく悪いことしたか、命に関わるようなことをした。
まで。

今回は、絶対レベル4だ。

慌てて小山を駆け降りる。
塀を越え、自転車をこぐ。
角を曲がる度に、川上がいちいちフラッシャーを光らせるのがアホみたいだ。右に曲がるのに、左へ点けてやんの。

公園に到着。自転車を放り出し、土の上に寝ころぶ。
公園の土の上、太陽に照らされた大地は暖かく、みなを優しく包んでくれる。
自分の鼓動を感じる。

ポケットの中には、さっきの小山の一粒。
鉄の匂いがする。
寝ころんだまま、遠くへ投げる。

どこか遠く、知らない国で掘り出されたその一粒は、再び大地の一部になる。


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失われた土地で 5 [失われた土地で‐震災の記録]

1984年5月30日 午前9時39分

兵庫県姫路市の北、山崎断層付近でM5.6の地震が発生

姫路 震度4
神戸 震度3

記録上の負傷者1名


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失われた土地で 6 [失われた土地で‐震災の記録]

1990年 − 地震まで5年

朝、梅田駅に着いたとき、全く予備校に行く気がしなかった。

大学に落ちたのは特に気にしていなかったけれど(気にしていたのは本人ではなくて親や友達だ)、予備校の雰囲気がたまらなくイヤだった。どこかずれている、しかも単に「分かりやすい方向」へ「意図的に」ずれている雰囲気。
中にいる人間すべてを含めて、ぺらっぺらのハリボテのように思えた。

行かないことにした。

ホームを見渡すと、線路の行き止まりの柵のところ、高校の制服を着た女の子が一人ずつ、何人か座っている。ラッシュを過ぎたホームは、やや閑散としている。
何がそんなにアホくさいのか、自分でもよくわからない。

三宮行きの電車に乗り、家に引き返すことにした。
電車の中は、朝の光に満ちあふれていて、とても穏やかだ。少し赤みを帯びた光の中にいる人たちは、全くハリボテには見えない。それぞれの人生を背負って、今そこにいるその人として生きているように思える。

最寄りの駅につき、自転車置き場から自転車を引っぱりだす。
ちょっと考えた後、あてもなく東へ向かうことにした。

坂を登り、川を越え、坂を下る。
ひたすら続く住宅街の中を自転車は東へ向かう。
太陽の下で体を動かすと、少し気持ちがほぐれてくる。

芦屋市に入ってすぐに、こじんまりとした商店街に着いた。アーケードが大分古びており、人通りも少ない。お客が減っているようだ。
なんとなく自転車を乗り入れると、左手の角に文房具屋があった。木造の家屋の一階が文房具の売り場になっており、その扉は、ガラスがはめ込まれた昔ながらの木戸だ。
煤けた金文字で店の名前が描かれたガラスを見た途端、何故か、持ち歩いてたノート(つまらない数式がたくさん書かれてある)のコピーを取りたくなった。

重い木戸を開け、店の中に入ると、目の前にコピー機があった。

どうやってコピーを取ればいいか聞こうと店の人を呼ぶ。
コンビニとかだと、コピー機にガチャッ、とはめるカウンターを受け取らないといけない。

「すいませーん」 今日初めて声を出した気がする。
「はいはい」

店の奥からおばあさんが出てきた。すごく上品そうな人だ。

「コピー取りたいんですけど」
「はいはい、コピーね。どれ? ああ、そのノートね」

おばあさんは、僕が何のコピーを取りたいのかを確認する。

確認??

不思議に思っていると、彼女はノートを受け取り、コピー機の傍らに置いた。そして、コピー機のフタを開け、薄紫色をしたビロードの布で、丁寧にガラスを拭き始めた。

「ちょっと待っててね。今、きれいにしてるから」
「わざわざ拭きはるんですかぁ」 

 間抜けな質問だ。見たまま。

「拭いたほうがきれいでしょ」

彼女は、まるで銀のアクセサリーを磨くかのようにガラスを拭きあげ、その後、ノートを一枚一枚めくってコピーを取り始めた。

コピー機は、一枚一枚、ゆっくりとノートのレプリカを吐き出す。
彼女は実は魔法使いで、件のコピー機は、彼女にしか使えない呪文によって動かされているかのようだ。

僕は、彼女の優雅な所作を眺め、この世には、なんて愛しい人たちがいるのだろうと思う。

彼らが街の片隅で、ほんの少し呪文を唱えることによって、世界は変化する。
その変化は小さく、すぐに消えてしまう。

店を出た後、振り返る。
彼女の姿はもう見えず、木戸のガラスには景色だけが映っていた。


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失われた土地で 7 [失われた土地で‐震災の記録]

1995年1月10日

 その日、車のタイヤを交換した僕は、天ケ瀬ダムへ向かった。新しいタイヤの具合を見ながら、宇治の下宿まで帰るつもりだった。

 蹴上から三条通を山科へ抜け、大津、石山、瀬田へ。瀬田から山道へ入る。ここから宇治川沿いを行き、天ケ瀬ダムを越えるとまもなく宇治の町に着く。普通に国道24号や師団街道を行くよりも随分時間がかかるが、タイヤを慣らすにはちょうどいい。

 夜は走り屋が出没するこの道も、夕方通る分には何の問題もなく、右へ左へくねりながら順調に進む。鴨川の等間隔カップルのように均等に並んだ車たちが、うねるように進んでいく。

 天ケ瀬まであと数kmのところまできたとき、ふと、空を何かの大群が行くのが見えた。

  大きい鳥たち。

  カラスだ。

 驚くほど鮮やかな夕焼けを背景に、たくさんのカラスたちが群を成し、飛ぶのが見えた。
 カラスたちは一言も発することなく北東の方向へ静かに進み、視界から消えていく。

 カラスが消えた空には、赤い空の色だけが残る。
 その色さえも、時雨雲が覆い、消えていく。

  灰黒色の雲。

 まもなく小雪が舞い始めた。

 雪はフロントガラスに当たると、すぐに融け、微かな痕跡を残して消えた。


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月光(失われた土地で8) [失われた土地で‐震災の記録]

1995年1月16日午後5時

 年明け最初の3連休最終日。穏やかな晴れの日。
 時折、時雨雲が細かい雨を散らす。

 その日の夕方、僕は突然伏見稲荷に行くことにした。
 なぜ伏見稲荷なのか?今考えてもよくわからない。

 確かに前々からあの鳥居がずら〜っと無数に並んでいる中を一度歩いてみたいなぁ、とは思っていた。でも正直言って「無理にいくほどのとこやないなぁ。まあなんか機会でもあれば・・・」というのが実感だった。第一、どんな名所であれ近所にあれば、まず行かない。それに大した名所というわけでもない。

 しかも冬の夕方。もうすぐ日も暮れようとしている。

 ・・どうしても行きたい

 わけのわからない衝動に強く動かされる。
 自分の中から湧きあがる情動にどこか不安を感じ、行く理由を考える。

 「そや、初詣にしよう」

 初詣にしてはちょっと遅いが、そういえば彼女とはまだどこの神社にもお参りに行っていなかった。正月は地元の神社に行ったのだが、こちらは実家の家族と行っただけだ。それに伏見稲荷で巫女のバイトをしている友達にも会えるかもしれん・・。

 京阪伏見稲荷駅はまずまずの人出だった。夕方ということもありみんな神社から駅の方に戻ってきている。

 自分たち二人は人の波に逆らうように坂を登っていった。
 駅を降りたときはまだ比較的明るかったのだが、千本鳥居のところに着いたときはだいぶん日も傾いてきていた。弱いオレンジ色の光の中、鳥居の赤い色が微妙に変化して見える。 

 鳥居の続く中を二人は登っていく。いつごろからここはお稲荷さんなんだろう。
 ふとそう思うと時間の感覚がおかしくなってくる。

 「そういえば今年の正月、なんか不思議やってん」、鳥居の中で僕は言った。
 「なにが?」
 「正月にな、初詣に行ったんや。実家の近くの神社やってんけどな。で、家族で車で行ったんやけど、その帰りなちょっと不思議やってん」
 「どないしたん?」
 「いつもはめんどくさいし、一緒に車で帰るんやけど。その時、どうしても歩いて帰りとうなってん。珍しいやろ?」
 「別に不思議やないけどなぁ。それぐらいやったら・・」 わたしでもたまにある。
 「いやそれがな・・・。自分の気持ちが不思議やってんよ。なんか、こう、いろんなことがもう二度と見られないような気がしてな、歩いて帰ることにしたんや。歩くといろいろ見ることができるやろ。で、歩きながらここは昔、友達がおったなぁ、とか考えてたんや」
 「ふうん」
 「結局ずっと歩いて、商店街の中を通って帰ってん。なんでそういう気持ちになったんかなぁ。いままでそういうことなかったんやけど」

 たしかにその年の年末から正月はどこか奇妙だった。商店街など、お飾りを買う人で混みあっていて見た目には全く違いがないはずだったのだが。
 まあ気のせいか。就職活動をせなあかんなぁ、とプレッシャーを感じているからかもしれんな...。

 何本も何本もひたすら続く鳥居を登りきったときには、あたりはかなり暗くなっていた。さすがに他に参拝の人もいない。

 「どうする?」
 「もうちょっと行こうや」

 さらに進もうとしたそのとき 、山の中、細い参道が少しだけ広くなっている場所にでた。そこには古い木の小屋があり、壁のすき間からゆらゆらと橙色の光が漏れでていた。小屋を見た瞬間、僕はなぜか決して触れてはいけなかったものに触れてしまった気がした。小屋自体ではなく、その中にいるもの...。

 ゆっくりと足を進め、中をのぞきこむ。

 中には無数の細いろうそくの灯に照らされて、ひとりの木像がいた。

 口を結び、恐ろしい眼でじっとなにかを見据えているもの・・

   「閻魔だ・・」

 木札に、かすれたような細い字で「閻魔殿」と書かれてあった。
 由緒などが書かれていたようだが、読むことができない

 閻魔は、ゆらゆらと灯に揺れながら、ただそこに静かに座っていた。 

 参道はさらに奥まで続いていたが、自分にはそれ以上先に行く必要がないように思えた。そして視線を閻魔から動かしたまさにその瞬間、自分がなぜここに来たのか、一体何を見にきたのかがすべてわかった。

 それは閻魔の後ろにいた。

 ちょうど閻魔殿の真後ろにあたる東山の稜線。
 その稜線の上に、これまで一度も見たこともないほどの巨大な満月がいた。そして信じられないことに、月は真っ赤な血の色をしていた。

 ただ静かだった。

 眼に入る強烈なイメージとうらはらに、何の物音もしないのが不思議に思えた。
 ゆらめく無数のろうそくに照らされた木像。静かに血を流しながら昇る巨大な月。

 それは近い将来、なにかとてつもなく良くないことが起こることを予感させた。闇は静かに深く柔らかくすべてを覆っていく。

 僕はいまでもこの光景を忘れることができない。

 そしてたしかにそれは起こったのだ。
 翌日の早朝、同じ月光の下で。


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失われた土地で 9 [失われた土地で‐震災の記録]

1995年1月16日午後6時28分
明石海峡で、M3.3の地震発生。

同午後6時49分 M2.6の地震。
これらを含めて、本震までに計4回の前震発生。

1995年1月17日午前5時46分51秒
明石海峡を震源とするM7.2の本震発生。
淡路島側に破断面が進行し、野島断層を巻き込みながら地表に断層面を形成。
やや遅れて、地下深くを神戸側に破断面が進行した。

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同午前5時47分 京都市
「?」 −何かの気配を感じて、突然目が覚めた。

地鳴りだ。

と突然、激しく体が揺さぶられる。闇の中でガラスの割れる音が響く。
起き上がるどころか、動くことすらできない。
揺れが収まった後、あわててテレビをつける。NHKは、中部北陸地方で大きな揺れがあったと報道。次々に各地の震度が報告されるが、神戸の震度だけが表示されない。京都駅前のホテルの正面玄関が粉々に砕け散っている映像が入る。

しばらくして、震源が淡路島付近であり、神戸の震度が6であることが伝えられた。
実家に電話するが、呼び出し音は鳴るものの、誰も出ない。

画面には、須磨か垂水付近の映像が映っている。
見える範囲では、大きな被害が出ていないようだ。
震源が淡路島で須磨がこの状況なら、東灘は大丈夫だろうと少し安心する。

しかし、阪神高速が神戸市内で倒壊しているとの情報が入る。
日が昇るにつれて、被害が明らかにされていく。

すべてのチャンネルで、アナウンサーの叫び声とともにヘリコプターからの映像が流れている。
その多くは無意味だ。地名から何から間違っている。
今、映っているその場所は、あなたが意味もなく大声で呼んでいる地名じゃない。

電話は、呼び出し音すら鳴らなくなった。

阪神高速倒壊の現場が映る。
倒壊した場所は、「恐竜たちの骨の場所」−東灘区深江だ。
子供の時から、あそこだけ桁の造りが違うのが不思議だった。

僕は、神戸に向かうべきかどうか迷っていた。
とりあえず、登山用のリュックとトレッキングシューズを引っ張り出す。

「住吉川付近、山手幹線沿いは全滅だそうです」、NHKのアナウンサーが言う。
誰もが、何を伝えればいいのかわからなくなっているようだ。

そのとき、ヘリコプターが見慣れた景色を映し出した。
実家の近所だ。
近所の小学校が映っている。

「お願いだから、もうちょっと北へ」

願いが通じたのか、ヘリコプターは向きを変え、北へ向かう。

すると、画面の中に、見慣れた青い屋根が映った。

「潰れてない...」

一瞬だけ映った実家は、どうやら潰れていないようだった。

僕は、その選択が本当に正しいのかどうかが全くわからなかったけれど、連絡を待つことに決めた。

翌日、電話が鳴った。

「こっちは、大丈夫だから」消えそうに遠い声で、母が言った。


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